VOL.2

震災の翌日3月12日。
地震と津波の被害が徐々に明らかになってきました・・。
そして予想もしていなかった福島第一原発の水素爆発。
しかしこれはほんのプロローグに過ぎませんでした。
これを機に生きるか死ぬかの極限の精神状態になりました。



早朝午前7時津波が押し寄せ変わり果てた当店内部。
絶句・・。どうしてよいかわからない。休業を余儀なくされました。

〜3月12日早朝、町の被害状況を確認するため自転車で見て回る〜

午前8時旧セブンイレブン分岐点前
信号機は停止中
同8時5分
新舞子入り口を見る。道がふさがれていました。


コメリ四倉店津波により全壊
午前8時

本当に復旧・復興できるのか?不安に駆られました・・。



被害状況確認のためヘリコプターが
重低音の音を奏で低空飛行をしていました。

 12日15時36分福島第1原子力発電所1号機建屋が水素爆発!マスコミはこの情報をいち早くキャッチしいわきから我先にさっさと逃げ始めました。TV局の支局は閉鎖し郡山へ逃げ、東京から来たマスコミ連中さんはクモの子を散らしたように逃げ去りました。当時の気象状況で結果的にはいわき市は線量が比較的低く、逆に高かったのは郡山市・福島市でした。即ち中通り方面が放射線量が高かったわけです。今でもその状態が続いています。
 これによりいわきは約2週間報道空白地帯となり生活物資が届かなくなり陸の孤島と化しました。
 現状を伝えることを使命としたマスコミが弱き老人や子供を置き去りにして、自分達だけいち早く逃げちゃったこと。他の人が忘れても私はこのマスコミの軽薄な行動は終生忘れないでしょう。
 マスコミと称する媒体が「報道の自由」とか「表現の自由」など標榜しているけど命がかかわるとみんなそれは「無かった」ことになるようです。
 御都合主義の権利の主張やこねくり回した屁理屈のジャーナリズム論。マスコミの欺瞞を垣間見た瞬間でした。原発の事故原因の追及や東電の姿勢、政治家の不手際はいち早く報道するようですが、自己のマスコミ自身の報道のあり方や反省、総括は私が見た限り行った形跡はありません。
 他人の事は手厳しく批判しておいて自分達には甘く・・。ですか?マスコミさんは完全無欠で都合のいい正義の味方!「この聖域を侵してはならず」ということなのでしょうか!?私は思いっきりあざ笑ってあげちゃいます。(大爆笑)

 



15時25分海水浴場前交差点
今井製パンの建屋に数台の車が津波に流され突っ込む

15時25分 5丁目新町沿岸部付近(新須賀通り)を見る。
壊滅・・・。



15時25分海水浴場前国道6号交差点
道路には津波が運んできた砂が積もっていました。


震災4日目(3月14日)復旧作業を始める
この頃からフード付合羽を着てマスクを着用する〜

東4丁目仲須賀通り・いわきや商店付近。
午前10時



東4丁目中須賀通り
午前9時55分
いわきや商店前から四倉町大通り方向を見る
午前10時



東4丁目国道6号沿線付近 ここも壊滅。言葉が出ません。
午前10時



東4丁目消防署の裏付近(東4丁目)



3月14日蜆川付近。津波により大破 6月5日同位置で撮影
大分復旧する


午前11時1分ころ、福島第1原発3号機建屋が水素爆発!
しかし、まだこの時点ではこの深刻さを認識することが出来なかった。


四倉高校避難所の様子

気がついたらカレンダーに「がんばろう (大好き) 四倉」
これをみて感涙しました。
17時30分 四倉高校体育館内避難所


3月14日
(左写真)午前7時40分  (右写真)19時20分撮影



市職員関係者とボランティアが夕食を配る
食べられるだけでもありがたかった・・。
19時20分

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