VOL.4

3月14日
〜福島第一原発3号機建屋水素爆発!緊急事態を認識〜


自衛隊の災害派遣車両とすれ違う。
自衛隊の皆さん、ありがとうございました。
どこかの偉い方が「自衛隊は暴力装置!」とおっしゃっていたようですが
少なくても私はそのように思いません。
「自衛隊は国民を守る救世主だ!」と思います。感謝しても感謝しきれません。
でもここいわきが被災地だということを改めて認識しました。
自衛隊の支援に感謝しつつも被災地になった悲しさが入り乱れ複雑な気持ちでした。

3月17日午前10時いわき市の保健福祉センター内で
放射能のスクリーニングをしている情報を得て早速
スクリーニングを受けに行く。結果は「異常なし!」胸をなでおろす。


スクリーニングの帰りセンター内の敷地に自衛隊の装甲車がとまっていました。
心の中で「原発の鎮圧をよろしくお願いします」と頭をさげ敬礼しました。


 震災直後からCMでタレントが「頑張って!」の連呼。みんな生きるため言われなくても必死に頑張っているのにこれ以上なにを頑張ればよろしいのか?そんな偽善の言葉なんか要りません。そんなに心配するなら被災地に出向いて手伝ってください!この時には本当にそう思いました。何百回もCMを見せられてウンザリ状態。まだ「体に気をつけて」の方が良かった。最後にはCMを見ないようにしました。




〜懸命の復旧作業〜



3月23日14時15分
6号国道道の駅付近で堆積した海砂を除去する作業が行われました。


〜いわき市四倉支所の支援物資の配給〜

原発事故発生直後から物資配給が一時的に滞るように
なりましたが、この時期になってから少しずつですが
救援物資が行き渡るようになりました。
3月23日18時20分撮影(吉田裕徳 元商工会事務局長 撮影)


列を整然につくり配給物資を受け取る被災者の方々。
3月23日18時20分撮影(吉田裕徳 元商工会事務局長 撮影)


極限の精神状態が5月初め頃まで続きます。

ラジオの情報を聞きつつ懸命の復旧作業。町は一時ゴーストタウンとなりました。
この時点でもまだ大部分の人は原発事故の為避難して戻っていません。
我が家も津波で濡れた畳を約30枚知人の手を借りて家から搬出しました。
3月29日



地元の土建業者さんが一致協力して災害ゴミを撤去していただきました。
本当にありがたかったです。ありがとうございました。少しは明るい兆しが見えてきました。
この頃からガソリンや生活物資が入手しやすくなりました。
3月30日16時15分



東3丁目蜆川付近。いまだに車や瓦礫が片付いていません。
3月31日午前10時



3月31日午前11時15分



自衛隊が四倉小学校へ
支援物資や生徒達が使う机や椅子を手分けして搬入しています。
4月5日14時00分



新町・5丁目付近懸命の復旧作業
しかし家屋は殆どが手付かず状態

4月10日14時20分頃
5丁目新須賀通り付近



4月10日13時45分
東4丁目中須賀通り


〜四倉港内に沈んだ車や瓦礫を撤去する〜
6月22日午前9時50分
築港湾内に沈んだ瓦礫や
車をクレーンで吊り上げ撤去していました
6月25日16時40分
湾内に沈んでいた乗用車




6月25日16時40分
原型をとどめていない車に胸が痛みます。

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