VOL.5

〜復興への道〜

〜災害ゴミに怒りの看板が立つ〜

復旧・復興が本格的に始まり四倉港内に一時的な瓦礫の仮置き場が出来ました。
そこには東電や政治家に対する怒りの看板が掲げられていました。
私も共感を覚え見つめていました。
4月30日撮影


東電はどのような責任を感じているのでしょうか?
政治家は相変わらず人事のように見ているだけなのでしょうか?
ただ「お悔やみ申し上げたいと思います。」
「思います」では本当のお悔やみを述べてはいません。
一部の政治家を除き震災の中、私は地元の議員を見かけていません。
選挙の時には足しげく「お願いします」と挨拶回りしますが震災の時は
被災者の声を聞きにこないのでしょうか?非常に疑問を感じます。
4月30日撮影


 4月中旬当店に東京から来たM新聞社と日にちをおいてA新聞社の記者が取材に訪れました。原発の事、今の生活の状態などを聞きに来ました。
(気持ちを押し殺して)
「3月12日水素爆発した時一目散に逃げちゃいましたよね?そして今頃になってどうですか?ってどうなんですか?」
記者
「これについては言い訳できません。でも私もサラリーマンなので上司の指示には逆らえないんです。」

「へぇ〜、命が安全な場合は人のプライバシーを土足で上がってでも取材するのに、命がかかわると上司の指示で撤収ですか?すごいですね〜!」
これ以上言っても無駄と判断し詰問をやめる。「アホくさくて聞くのが馬鹿馬鹿しい!」 


〜ボランティアの皆さんの活躍〜

ボランティアの皆さんが町の復興のために
復旧作業をしてくださいました。
感謝の言葉しかありません。ありがとうございます。
5月27日撮影




〜JR常磐線の部分復旧〜

4月17日から震災以来不通となっていたいわき〜四ツ倉間が暫定開通しました。
続いて5月14日からは久ノ浜駅まで区間が延長しました。
いわき駅にて5月8日撮影

2007年以来廃止となっていた「四ツ倉」行きが復活!
こんな時に見られるとは複雑な気持ち。
普通列車四ツ倉駅止まり
現在は10月10日から広野駅まで復旧延伸しました。
しかし・・、
いわき〜仙台間の全線復旧はいつのことになるのでしょうか?
全く見通しが立っていません。


〜はるかのひまわり〜

広島の支援団体「You-縁」の皆さんからいただいた
はるかのひまわりの種を
窓口の四倉商工会から頂き店脇の花壇に蒔きました。
6月15日
7月11日
こんなに大きくなりました。
8月16日
ついに大輪の花を咲かせました。
とても勇気付けられました。



〜四倉第一幼稚園の除染作業〜
四倉小学校裏にある四倉第一幼稚園
比較的線量が高いため園庭を除染する作業をしている模様
8月22日撮影


四倉海岸にて震災殉難者の塔婆が立つ

塔婆に向かいそっと手を合わせ冥福を祈る
8月12日撮影


鎮魂の花火〜絆と光〜
8月16日四倉海水浴場

鎮魂の思いを込めて打ち上げる追悼の花火
こんなに悲しい花火をみることは・・無念極まりない




〜復興の願いを込めて凧揚げ大会を開催〜
第16回いわき凧揚大会
9月25日 四倉海岸 午前9時〜午後2時



元気よく舞い上がる凧を見て
とっても元気になりました。
久しぶりに子供達の笑顔を見て
少しですが明るい希望を持てるようになりました。



セメント工場跡地に仮設住宅が建設される

セメント跡地に建設中の仮設住宅250戸建設
他にも四倉工業団地敷地内にも50戸建設
9月9日撮影


〜海岸に設置してある防災行政無線の問題点〜

沿岸の防災行政無線のスピーカーは
海の方しか向いていません。
(海側から写真を撮る)
町側から行政無線を撮る。
ごらんのとおり町の方向にスピーカーは向いていない。
結局震災の時防災行政無線は四倉地区に限っては役に立ちませんでした。
警報サイレンは鳴らないし具体的な避難指示もありませんでした。
防災行政無線は沿岸ばかりに設置するのではなく津波浸水予想地域、
すなわち町内にも設置すべきではないでしょうか?
以前地震により津波注意報が発令されたときこの行政無線で呼びかけが行われましたが、
男性の声なので何を言っているのかわからないことが多かったです。

これらは今後の改善点ではないでしょうか?


〜平成22年に作成し各家庭に配布された津波ハザードマップ 表紙部分〜

 平成22年(2010)3月各家庭に回覧板で配られた「いわき市津波ハザードマップ」。これをみると今回の大津波の予想がほぼ想定どおりに来ています。約1年前にハザードマップが配られたのにもかかわらず有効に利用されませんでした。
 私達がもう少し危機意識を持ってこのハザードマップを見ていたら・・。また違った結果になっていたかもしれません。私達の認識の甘さもありましたが、行政側にも不手際があったと感じています。それは津波警報が発令されたらサイレンを吹鳴する規定になっていました。しかし四倉町内に限っていえば警報サイレンは一切吹鳴されませんでした。マニュアルに規定されているにもかかわらず吹鳴されなかったことは残念でなりません。
詳しくはいわき市HPの津波ハザードマップのページ




今回の震災の総括と反省点
○津波をあまりにも軽く見すぎていたこと。
○津波警報が発令されたら迅速に避難すること。
○非常時のために生活物資や食料の備蓄を常日頃整えておいて置くこと。
○貴重品や大切なものはなるべく高いところに保管すること。
○家族とあらかじめ避難場所を話し合っていること。
○不測の原発事故に備えていつでも逃げられるよう荷物をまとめておくこと。

 何でもない平凡な一日一日がどれだけ貴重な日々だったのか?今さらながらそれを認識させられたのがこの度の大震災と原発事故でした。ゴールが見えない復興。おそらく長期にわたる復興になると思います。そして震災前と同じ状態には絶対戻れません。一歩一歩前へ歩んでいくしかないのですが、この先どうのようになるのかわかりません。
 この大震災と原発事故により私達の人生設計は大きく変わってしまいました。悲しみと悔しさがこみ上げてきます。これから放射能を気にしながら生活しなければならない異常さ悲しさ。言葉を失います。
 報道関係者に対しては格段の不信感を持たざろうえません。それは原発水素爆発と同時にいち早く逃げたこと。一生忘れません。そしていわきは報道空白地帯と相成りました。
 このページを作成して公開する目的は四倉地区限定の震災記録となりますが、いわき市沿岸そして福島県浜通り沿岸、またわが国の東日本の太平洋沿岸の地域が等しく受けた被害なのです。岩手・宮城両県のみの被害ではないのです。時が経てばこの大震災や原発事故の記憶は薄らいでいくのではないかと思います。しかしこの大震災と原発事故は終わりではなく現在進行形なのです。それらがおきたことにもかかわらず、時が経てば被災地以外に住んでいる方々は「なかったこと」とされたり「もういい加減にしろ」言われるかもしれません。しかし風化をしないように、四倉であの震災で何が起きたのか?その時どのような状態だったのか?限られたページではありますが、記録に残し伝えていこうと思いました。今回はいろいろな人間模様を見させていただいたような気がします。そして最後にこんなことは出来れば二度と起きないよう祈ります。

大震災と原発事故を乗り越えて、新しい時代を切り開きあの出来事がのちの世代に語り継がれるように。
そして被災された皆様に再び幸せが来ますように。「頑張る」ではなく体に気をつけて一歩一歩前へ着実に歩んでいきましょう。


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