福島県いわき市四倉町
東京電力福島第一原子力発電所から約35キロ地点


平成23年(2011)11月 9日公開
四倉の記録VOL.1
震災直後
四倉の記録VOL.2
3月12日以降の記録
四倉の記録VOL.3
被害状況
四倉の記録VOL.4
懸命の復旧作業
四倉の記録VOL.5
復興への道

 平成23年(2011)3月11日。その日も眠そうな平安な一日でした。14時46分前までは・・。店にいて知り合いの方とお話している最中に「カタカタカタ、、」「あっ地震だね」最初はすぐに鎮まるだろうと思いました。しかし一向に終わりそうもなくほどなく激しい横揺れが・・。「これはまずい」と思い、朝から灯していた石油ストーブに飛びつき緊急消火しようとしました。しかし火はなかなか消えず、知人にストーブの上においてあったヤカンの水をかけてもらいました。白い煙がたちまち上がり、私はストーブを持ち上げ店の外に出しました。しかしその作業が終わってもまだ地震は鎮まりません。
 もう立てる状態でなかったので店の入り口で四つんばいになってこらえました。揺れに耐えながら心の中で「あ〜これはついに宮城県沖地震が起きたな」と思いました。でも後から見ればそれ以上の地震だったのです。
 地震がやっとおさまり机の引き出しに常時デジカメを置いていたのでとっさにそれを取り出し周囲の状況を撮影し始めました。
 それからほどなくして今までに見たことがない大津波がこの町を襲いました。この津波により沿岸部の住宅地域はほぼ壊滅。当店も約1メートルの波が入り甚大な被害を被りました。
 翌12日には福島第一原発1号機が水素爆発。危機はこれで収まらず続いて14日には3・4号機も水素爆発。地元マスコミ、東京からきたマスコミはその情報をいち早くキャッチして我先に逃亡!おかげでこれから4月初めごろまでいわきをはじめ浜通りの被害状況はほとんど報道無し。頻繁に報道されるのは主に福島市・郡山市の状況。そして比較的被害が少なかった会津若松市。いわき市関連は沿岸が大津波で町が壊滅状態にもかかわらず報道空白地状態。追い討ちをかけるようにいわき市長さんはテレビの生電話インタビューで要領を得ない受け答えで、質問したアナウンサーに逆切れされる始末。極めつけは「いわきは大丈夫です!」と言っちゃいました。偶然テレビを見ていた私は信じられない受け答えに絶句。「お〜い、どこが大丈夫なの?こっちはご飯も満足に食べてないしガソリンも手に入らないんだよ〜!(泣)」どうにもならない最悪な状態が続きました。
 さらにいわき北部である四倉・久之浜はマスコミが放射能が怖くて入ってきませんでした。宮城県・岩手県の沿岸は事細かく報道されているのに対していわき市北部はほとんど無視状態でした。よ〜く考えれば「四倉・久之浜地域は被災地じゃないんでしょ!」と思っちゃいました。
 センセーショナルな映像を流すことはしても地味な映像は一切流さないマスコミの本質を見た気がします。マスコミは人のミスは徹底的に糾弾しますが、自分達の震災の報道に対して総括した形跡は私が見た限りありません。
 「報道の自由」とか「公平な報道・表現の自由」「知る権利」とかかっこいいこと言っちゃって正義や権利を振りかざしているみたいですが、今度はこれ以外に「自分の命が危なくなったらさっさと逃亡する自由」もいれちゃったらいかがでしょう(笑)そうすればマスコミが逃げた理由を納得するんですけどネ。
 震災発生から半年以上経ってマスコミの報道の仕方や行政の復旧・復興の対応の遅さを間近に見てやはりこれは現状を写真でいいから記録を残しておく必要があるだろうという結論に達しこのページを作ることにしました
 このページは震災直後から撮影し始めた写真を日を追って掲載していくことにしました。
 本来なら「もっと早く公開すればいいのでは?」というお声をいただくかもしれません。今日まで掲載しなかった理由は被災された方々がたくさんいますし当店も甚大な被害を受けています。震災で亡くなられた方や被災された方のお気持ちを思うと「被災写真を載せていいのか?」という心の葛藤がありました。震災に対する悲しみ、悔しさ。原発に対する怒り、報道に対する疑問、伝えたい事は山ほどありますが、それらの事を心に持ちながら淡々と公開したいと思います。
 尚、掲載されている写真の著作権は当店にあります。無断転用は固くお断りいたします。


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